2017年につづき、世界三大自動車レースの一つであるインディ500マイルで2回目の優勝を果たした佐藤琢磨。自動車競技を初めてわずか5年でF1ドライバーに上り詰め、3位表彰も獲得し年間ランキング最高8位という成績をF1の世界で残しています。日本人最強レーサーとも言われる彼の魅力的な人生へのコミットメントをご紹介します。
【自動車レースとの出会い】
弁護士の父、舞台女優の母の間に一人っ子として1977年に東京で生まれた琢磨少年は、10歳の時に鈴鹿で開催されたF1レースで自動車レースに魅せられます。当時の彼のアイドルは、ご存じF1ドライバーのアイルトン・セナ。
【自転車競技での成功】
しかし、当時レーサーになるには幼い頃からカートレースで腕を磨くことが常套手段であり、普通の家庭に育った彼はレーサーになる方法を見いだせないまま、自転車に没頭します。高校に自転車競技部がなかったため担任に顧問をお願いし、一人自転車部を立ち上げます。研究熱心な彼は、自転車競技のトッブ選手が集まる練習の場に足を運び、各選手の特色を研究し、見事インターハイを制します。駆け引きの重要な自転車競技においては相手を研究することが重要であることを彼は十分に理解していたのです。後に彼は「トップ選手たちは、自分のことなんて知らないんですよ。でも、僕は全員知っていましたから。」と回想しています。
【レーシングドライバーを目指す】
自転車競技での実績により早稲田大学に進学します。2年生の時には自転車競技でインカレを制します。そんな時に、雑誌で「鈴鹿フォーミュラスクール」の生徒募集の広告を目にします。最優秀者にはレースデビューの道がひらけるというものでした。年齢制限は20歳。彼にとってはレーシングドライバーの夢をかなえるラストチャンスと考え、スクールの試験を受ける決意をします。試験には、幼いころからカートで実績を上げている実力者ばかりが集まります。履歴書を提出して合格発表を待つようにと試験から告げられます。それでは実績ゼロの琢磨が合格することはあり得ません。そこで琢磨は行動します。「面接をして欲しい」と。琢磨の熱意に面接が行われることになり、そこで彼はレースに対する情熱を語り、見事試験にパスするのです。そして、大学を中退し、本格的にF1ドライバーを目指すスタートを切ることに成功します。
【スカラシップでレースの本場イギリスへ】
スクールでは、常にトップタイムを出し、時にはプロレーサーの講師をもしのぐタイムを刻みます。みごと首席で卒業し、レースの本場であるイギリスへ渡ります。そこで彼は、本来、参戦するカテゴリーよりもワンランク下のクラスから参戦します。というのも、ドライバーがステップアップするためには失敗が許されず、一度、失敗すれば上のカテゴリーへステップアップする道は絶たれ、彼の目指すF1ドライバーという世界に20人程度のシートしかないトップドライバーになることは叶わなくなります。また、イギリスを選んだのも、F1界のチームのほとんどがイギリスに拠点を持ち、F1関係者の目に留まりやすいということも計算していたそうです。
【実力でF1シート獲得】
イギリスのレース界で琢磨は快進撃を果たします。当時、F3というカテゴリーからF1にステップアップするドライバーがほとんどで、フランス、ドイツなどにもF3というカテゴリーがありましたが、アイルトン・セナもチャンピオンを獲得したイギリスF3で圧倒的なチャンピオンを獲得し、ついにF1のシート手に入れます。その当時、日本人ドライバーはバブルに沸いたスポンサーマネーでシートを獲得していたドライバー多かったため、戦闘力のあるチームに所属することが困難であった中、当時、勢いがあって優勝も狙える中堅チーム「ジョーダン・無限ホンダ」から実力が認められ、デビューを果たします。
【F1での印象的な走り】
期待されたチームからデビューしたものの、前年と打って変わってチームは低迷。ポイント(当時は6位までポイント)を全くとれないまま、母国の日本GP(鈴鹿サーキット)を迎えます。当時、3強のチームがあり、6位まで独占するレースが多いなか、琢磨は見事5位入賞を果たします。鈴鹿は、彼のチームカラーである黄色一色になったことを覚えています。
また、琢磨の走りは攻撃的で、それまでチームによる力の差からオーバーテイク(追い抜き)がほとんど見られなくなっていたF1において、果敢にオーバーテイクをみせる彼の走りにファンは熱くなりました。琢磨のデビュー後、F1でオーバーテイクシーンが増えたと感じた人も少なくないのではないでしょうか。
彼の果敢な人生
佐藤琢磨の華麗な経歴は、決して才能だけでなく、目的達成のために研究し、それを実現するために努力し、つかみ取ったものです。彼は、高校時代から食べるものまで研究し、レース界で成功するためには英語が必須であると、ホームステイをしていたホストファミリーに間違った英語を正してもらっていたそうです。また、成功するために戦略的に考え、さらに時には果敢な行動により突破してきた生きざまは、あまりの素晴らしさに感動すら覚えます。F1ドライバーとなった後、雑誌の特集で彼の生い立ちを取材したカメラマンの中には取材中に涙を流した人もいたそうです。
そして、彼はF1界で成し遂げられなかった年間チャンピオンを目指し、43歳の現在もアメリカのインディカーレースの世界で今も活躍しています。
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